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トップ > 第二十二番 洞谷山 永光寺
縁 起
鎌倉時代の末、正和元年(一三一二)に瑩山禅師によって創建され、元亨元年(一三二一)には後醍醐天皇の勅により宗門初の出世道場に定められました。南北朝時代には、足利尊氏、直義の発願で安国寺利生塔の制を設けた際、能登の国は永光寺に三重の利生塔が建立され、寺運は興盛し堂宇が並び建ちましたが、応仁二年(一四六八)に一山ことごとく焼失。後土御門天皇の発願で再興されたあと天正七年(一五七九)兵火によって開山堂の一部を残し再び灰と化しました。
現在の伽藍は寛永以後の再建で、広い境内に法堂・鐘楼・衆寮・坐禅堂・山門・庫裏・書院などが回廊で結ばれ、禅道場の清々しい環境を保っています。
瑩山禅師直筆の洞谷山尽未来際置文(国・重文)を始め多くの寺宝も蔵しています。霊場の聖観世音菩薩は大本山總持寺貫首智璨禅師が信心された、御仏で、ほかに平安時代作の秘仏聖観世音菩薩さまも合祀されています。禅の源流と五老峯
開山瑩山禅師は、元亨三年(一三二三)今の中国、時の名僧如浄禅師・永平寺開山道元禅師・二代孤雲禅師・三代徹通禅師及び禅師自身ゆかりの品を納めて五老峯と称され曹洞宗にとっては源流とも云われています。
開山堂には、五老禅師の尊像及び四哲の像が安置され、また法堂のご本尊は、平安中期から戦国時代に活躍し忽然と姿をけした院派仏師の手になる華厳の釈迦三尊(鎌倉時代)をお祀りしています。国指定重文六点・県指定古文書二百五十七点他多くを所蔵しています。
瑩山禅師は四十九歳のおり永光寺を開かれ、のちに輪島市門前町に總持寺を開山しましたが弟子峨山禅師に譲り、生涯愛された永光寺に戻られ六十二歳にて遷化されました。アクセス
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- 【 住 所 】
- 〒925-0074
石川県羽咋市酒井町イ-11
- 【 電 話 】
- 0767-26-0156
- 【 交 通 】
- JR七尾線羽咋駅から北陸鉄道バス七尾行き寺境下車、徒歩25分/
羽咋駅からタクシー20分
- 【 観 光 】
- コスモアイル羽咋、千里浜、豊財院、気多大社、妙成寺、碁石ヶ峯、石動山、和倉温泉など
- 【 専用駐車場 】
- 大型車20台 普通車100台
- 【 宿泊設備 】
- 羽咋市内旅館
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